由来
鴨川は,一般的には出町柳から上流部を「賀茂川」,下流部を「鴨川」と表記されます。鴨川の由来は諸説ありますが,上賀茂神社や下鴨神社が川沿いに位置し,平安京造営前から上賀茂の地に定住していた賀茂氏(鴨氏)に由来するという考え方もあります。「賀茂川」や「加茂川」など多くの呼び名がありますが,もともと「カモ」という言葉(音)に意味があり,漢字は当て字と言われています。
流域の地形
鴨川は,京都市北西部の桟敷ヶ岳を源流としています。その流れは雲ヶ畑を経て,鞍馬川を加えて南流し,大原,八瀬を経た高野川が出町柳で合流します。四条大橋の北では白川が合流し,京都の中心部を貫流し伏見区下鳥羽付近で桂川に注いでいます。鴨川の流域面積は,桂川の合流地点で約207.7平方キロメートルで,桂川,由良川,土師川についてで大きな河川です。流路延長は,鴨川が約33キロメートルです。
京都の地形は,北山や東山の山麓から南側に向かって形成された扇状地であり,度重なる氾濫があったことが伺えます。また,南北の傾斜は,北山通りと東寺がほぼ同じ高さとなっており,鴨川がかなり急流河川となっていることがわかる。
川のすがた
上流部は,針葉樹と広葉樹に覆われた豊かな森林があります。昔から林業が盛んで平安京造営の際には御用林となりました。鴨川は,平安時代から身を清める禊が行われるほどの神聖な川で,川を清潔に保つ禁令が出されるほど自然環境の保全が図られてきました。
下流部は,河川の合流点が近くにあることから,かつては舟運の拠点となった川の都(草津とよばれた)があり,高瀬川の水運は鴨川を経て伏見と京都の中心を結んでいました。現在は,堤防区間となっています。
「鴨川は暴れ川であった」
かつての鴨川の姿を伝える白河法皇の言葉を連想させる,野際白雪(のぎわはくせつ)「叡山法師図(ほうしず)」がある。
18〜19世紀に描かれた野際白雪の「叡山法師図」には,右半分に国学者・本居大平(もとおりおおひら)(1845~1833)による画賛が書かれている。左には冑(かぶと)を着て,長刀(なぎなた)を持ち右向きに座る姿が描かれている。男は延暦寺の僧(山法師)であり武装した僧兵である。僧兵は,平安時代末期以降,強大な勢力を有し,政にも影響力を持っていた。
かの白河法皇(1053~1129)が自分の思うままにならないものとして,「加茂川の水,双六(すごろく)の賽(さい),山法師(平家物語)」を挙げ,古来氾濫を繰り返す暴れ川として知られる加茂川は時の権力者も見過ごすことのできない自然の脅威であった。

参照:大阪大学総合学術博物館 第18回特別展 博物館・豊中市連携事業 中之島芸術センター開館記念
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