室町時代から江戸時代にかけて,京都とその周辺の景観を描いた屏風が作られてきました。これらの屏風を総称して洛中洛外図屏風といいます。写真がない時代には,目に見たものを絵に描くことで情景を伝えました
描かれた時代の政治権力や社会の状況,今では見られなくなってしまった日本人の習俗などを含めた,京都の人々の生活の様子などがわかります。
京都の全景を一望できる「洛中洛外図屏風」は,16世紀初頭,応仁の乱から復興し、新たな近世都市へと向かう京都を,京都市内と郊外を描いた絵画で、屏風に仕立てられました。名所や年中行事などが、四季を配して、そこに集う人々とともに描かれています。現実の都市社会を題材にした洛中洛外図屏風は、権力者の自己主張から名もなき人々のさまざまな暮らしまでを描いており、当時の人々の生活を想像する上で、歴史資料としても極めて貴重です。
洛中洛外図屏風の始まりは、永正三年(1506年)とみられています。当代きっての文化人で、絵画にも造詣が深い公家三条西実隆(さんじょうにしさねたか)が、越前の戦国大名朝倉貞景(あさくらさだかげ)の発注でやまと絵の絵師土佐光信(とさみつのぶ)が描いた「京中」の屏風絵を、とても珍しく、一見して興味深いと日記に書き写していることによります(「実隆公記」同年12月22日条)。


「洛中洛外図屏風(歴博甲本)」は現存最古のもので,十六世紀前半の制作です。「洛中洛外図屏風(歴博甲本)」は、右隻4から6扇(せん)を春、右隻1から3扇を夏、左隻4から6扇を秋、左隻1から3扇(せん)を冬と均等に配置しています。これはやまと絵における四季絵の伝統を踏まえた構成であるとされています。
右隻(うせき)
春      春       春       夏       夏       夏 
国立歴史民俗博物館所蔵
(左から)6扇・5扇・4扇・3扇・2扇・1扇
(左から)春・春・春・夏・夏・夏 
2隻(四条大橋)・1隻(五条大橋)
右隻の画面上部を左右に描かれる川が鴨川です。その上部が洛外で、向かって左から、比叡山、吉田社、南禅寺、知恩院、祇園社、清水寺、三十三間堂、東福寺の順に京都の東方、東山を北から南へと描いています。右隻4から6扇を春、右隻1から3扇に夏が描かれています。(今回のイベントでは,1隻と2隻の鴨川エリアを対象としています。)
鴨川の下に描かれているのが洛中で、祇園祭の光景が目に入ります。このあたりが有力町人の住んだ地域(下京)にあたります。5、6扇中央に描かれる内裏(だいり)(皇居のこと)付近は、上級の公家や武家の住む上京です。戦国時代に制作された初期洛中洛外図屏風では、右隻5、6扇に内裏が比較的大きく描かれました。これは理想の京都支配を担う最上級の権威として、作品の主題に関わる中核的モチーフと理解されています。
左隻
   秋      秋         秋            冬       冬      冬  
                                          柳の御所
国立歴史民俗博物館所蔵
(左から)6扇・5扇・4扇・3扇・2扇・1扇
(左から)秋・秋・秋・冬・冬・冬
1隻(柳の御所)
左隻第一扇に描かれた幕府が、大永五年(1525年)一二月に完成した室町幕府十二代将軍足利義晴(あしかがよしはる)の「柳の御所」であると指摘され、このころから天文年間前半(1525年から1535年)ごろの景観が描かれているとされてきました。
参考文献
人間文化研究機構連携展示「都市を描くー京都と江戸ー」2012.
米沢市上杉博物館「狩野派ー永徳とその周辺ー」2022. 

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